自閉症スペクトラムとアスペルガー障害のこと
最近よくアスペルガー障害は無くなったのかという質問を受ける。
無くなったと言えば無くなったのだが、どちらかと言えば自閉症スペクトラムに内包されたと考えて頂くのがよろしいかと思う。
アスペルガー障害が診断基準の難しい障害であること、また、どの点において確定するのかが精神科医によって異なっていることが問題となった。
つまり、医療的エビデンスに欠けるというわけだ。
しかし、現症としてのアスペルガー障害は存在する。
アスペルガー障害を重篤度で見分けるのかというわけになるのだ。
いわゆる空気の読めない人止まりなのか、それとも相手の気持ちがわからずこだわりが強く社会生活を送れない人なのか。
今までは両者ともにアスペルガー障害として診断される可能性が強かったわけだ。
しかし、コミュニケーションや社会性の質的障害が起こっているということは、日常生活や社会生活に障害を抱えるわけであり、根本的な脳の機能に違いがあるのではないかと推測される。
空気が読めないくらいで生活に障害がない場合のアスペルガーとは明らかに症状が違っているわけだ。
また、実際の臨床場面では知的障害や他の発達障害との区別の難しさや、診断軸では該当するものの心理検査では発達障害の特徴が現れないということが多かった。
このため、アスペルガー障害と言う病気を特定する基準があいまいであったというわけだ。
現時点では、そのような状態像を包括して「自閉症スペクトラム」と診断することになってきている。
将来的にはアスペルガー障害の基準が見直され、再び病名として登場することになるのではないかと思う。
参考までに、こちらのサイトが非常にわかりやすく書いてあるので、ご覧いただきたい。
衆院選2017を終えて
選挙公約を見て、投票先を決め期日前投票に向かった。
投票所には長蛇の列。
40分待ちと言われ当日投票に切り替えた。
これほど投票意欲があれば、政治に対する民意は反映されるのかもしれない。
そう思いながら帰路に着いた。
当日は悪天候の影響もあったのだろう。
クライエントの話を聞くと、天候が悪かったのでという理由で投票に行かなかった方もいらっしゃった。
そもそも選挙で何を選んでいるのかわからない方や、体調が優れず投票に行けなかった方もいた。
「衆院選2017が難しい」
これが国民の声だったのではないだろうか。
与党の政策では困る。
しかし、選ぶべき野党もいない。
選挙から足が遠のき、大切な一票は投じられない。
結果はいかがだっただろうか。
概ね予測通りであったが、投票率が低いため予想以下だった政党もある。
さらに政治不信が募るほどにである。
選べない比例代表であれば、創価学会員に頼まれて公明党の獲得議席が伸びる。
政治不信であれば、共産党に投じる。
そのように見ている。
果たして今回の選挙では政治不信ではなかったことの表れなのか、そもそも国政に関心が持てなかったのか、難しかったからなのか、どれなのであろうか。
希望の党の失速具合は残念である。
「排除」という言葉の一人歩きが起こった感は否めない。
第一与党となるために擁立者を増やさねばならず、ブッキングしてしまう事態は当然起こり得る。
小池知事としても苦渋の決断であり、政治のリーダーとして当然の選択であっただろう。
しかし、排除と言う響きは国民を不安にさせた。
問題は「排除」という単語だけがクローズアップされたことだ。
文脈の中で理解すればさもあらんことも、マイナスイメージとしてキャッチフレーズ化してしまいイメージダウンとなってしまった。
これはメディアの偏向報道ともいえるのではないだろうか。
自民党への政治不信から希望の党へ期待を寄せていた国民は、支持政党を失い立憲民主党に期待を寄せる。
公約で見たように、若い党ながらも力強かった。
つまり、政治不信票が立憲民主党に流れただけだ。
こうして、組織票や支持者を多く抱える自民党が大勝したということだ。
自公政権が推し進めるのは、安定した財政基盤のための消費税増と、それに伴う社会保障の充実による国民生活の保護である。
消費税は上がる。
上げねば財政が困窮する。
医療費は下がる。
増え続ける社会福祉費用は抑える必要があるからだ。
医療費が下がると、病院に通いやすくなるのか。
まさかそんなわけはない。
医療抑制を行わねば元の木阿弥である。
症状に応じた適切な医療の大義の下、最低限の医療福祉が整備される。
高負担・低福祉
国力はアップする。
庶民の生活は少し苦しくなる。
国民全体が国を支える。
国の在り方としてまっとうな選択をしたともいえるだろう。
選挙に行かなかった者が政治を語ってはいけないとは微塵も思わない。
投票しないという選択を行ったのである。
それは今回の選挙が国民に浸透しなかったことであり、安倍総理の妙手でもあったように感じる。
小さなスキャンダルで辞任ばかり続いた総理に比べると、今回は辞めない安倍総理は立派である。
しかし、そろそろ新しい外交や国際競争力、国防や一極集中に新しい風が欲しいのも本音である。
今後の政権運営に期待しよう。
衆院選2017が難しい① ~自由民主党の選挙公約を考えよう~
いよいよ衆院選が迫ってきた。
混迷を極める今回の選挙。
どの党を選んでいいか難しい。
先日選挙公報が届いたのだが、政策を見てもピンとこなかったのが正直な感想である。
今回の選挙はわからない。
何がわからないかというと、どの政党が何を言っているのかわからないのだ。
読者の皆さんもそのような思いがあるのではないだろうか。
不祥事が続いたため、信任を問うという形で解散したと記憶している。
さらに消費税増にも関連し、国民の意思を問いたいのだと耳にした。
しかし、公約を見る限り反対意見以外増税に触れている公約は無いように見える。
と言うわけで、細かく政策内容を見てみたいと感じた。
メモ的なものだが、皆さんが政治に関心を持つ一助になればよいと思い記すことにする。
なお、選挙公約のみに焦点を絞るため、背景や真意については言及できないので悪しからず。
自由民主党の選挙公約
2017年 衆院選特設サイト|「この国を、守り抜く。」自由民主党
選挙公報には書いていないが、安倍総裁は
「2019年10月から10%へ引き上げる予定の消費税の安定財源を活用し、従来からお約束していた年金、介護の充実に加え、子育て世代の暮らしを守り、そして子供たちの未来を切り拓くため、投資を大胆に進めます。」
と述べている。(総裁挨拶より)
続きを読む退院後一ヶ月の様子
術後一ヶ月を迎えた。
私の左ひじはチタン合金の人工橈骨頭が入っている。
術前までは何とか整復を目指し、自己骨で頑張っていたのだが接がることはなく、溶けていった。
創部は皮膚に戻り、生々しい傷跡を残している。
術後の経過は、前回よりも痛みが少ない。
しかし、可動域の制限は強い。
腕が伸びないのである。
もちろん曲がらないし、肩を触ることはできない。
それでも前回は髪すら触れなかった状況を考えるとマシな方と言えるのだろう。
七割
それが、医師の告げた回復割合である。
五体のうち一肢は七割になる。
全体の6%は失われた機能だ。
今後は94%の身体を目指してリハビリを行っている。
まだ半分も戻っていないので、あと二割をリハビリしているというわけだ。
それでも仕事はせねばならない。
生きるために必死に働く。
おもしろおかしくなんてとてもじゃない。
ジッと耐え、もがき苦しみながら進むしかない。
日々の変化に目を向けられなくなりそうになる。
変化を感じられなくなる時、人は容易に抑うつ感を持つ。
何も変わらない毎日何て起こり得ない。
変化を感じないように心がしようとしているだけなのだ。
今日の首都圏は冬の気候である。
週末には内容の見えづらい総選挙が控えている。
今日会うクライエントさんは、前回から数日間の変化があるはずだ。
通勤中に見る景色、通り過ぎる物や者、街の音、全てが今日のものだ。
心を閉ざさず、顔を上げ、もがき苦しみながらも進んでいく。
そうして人生の荒波を乗り越えていこう。
格致日新を心に
格物致知。
物事の本質や真理を探究し極めていくことである。
「格致」はその略であり、「日新」は日々新たにという意味である。
「格致日新」とは、日々新たに物事の本質や真理を探究し、常に極みを目指し向上するものである。
しかし、出典元があやふやであり、どこから派生した言葉なのか不明である。
いつ耳にした言葉なのかも覚えていないのだが、心にしみている。
精神科での日々は格致日新である。
正解を追い求めながら、それが正解であったかどうかもわからないのだ。
福祉分野においてはエンパワメントが重視される。
本人の能力を活用し、力を持って行動できるようにするための援助だ。
個別化の原則にのっとり、目の前のクライエントに対してオリジナルの支援を展開する。
対人援助職の醍醐味でもあり、難しいところでもある。
先日のBさんの例ではうまく行ったことと、
A子とでは支援が違う。
もちろん、BさんとA子では疾患自体が違うのだが、例えばBさんと同じ統合失調症のCさんでは別の支援を行っている。
Cさんは30代の男性であり、発症は20代後半。
上京しIT関連の企業でSEに就いていた。
チームを組んでプログラミングをしていたのだが、不眠が続き、幻聴が出現した。
業務中でありながら、後ろを通る人から罵詈雑言を浴びせられるのだ。
ここで注意しておきたいのだが、果たしてそれが幻聴であったかどうか知るすべはない。
我々は、常識と照らし合わせて幻聴である可能性が高いと判断しているのだ。
もっとも、了解不能な内容(たとえば宇宙人からの妨害を受けているなど)であれば明らかに幻覚と認める。
Cさんは数カ月耐えたが、街中でも会社の人間から後をつけられるようになり、転職した。
しかし、自分の噂が転職先の会社にも伝わっており、仕事にならなかったという。
私がCさんと出会ったのは、ロールシャッハテストであった。
迫害感が強く、現実離れした内容であり、反応に乏しかったため統合失調症を主治医に提言した。
カウンセリングを行いながら集団療法を導入した。
集団療法において徐々に対人交流を取り戻して行ったが、カウンセリングは無断欠席が続き中止となった。
こちらの提示する就労復帰プログラムは拒否し、民間の就労以降支援事業所を利用し始めた。
多くの就労以降支援事業所では、医療福祉系の資格を持たない人がスタッフとして働いている。
医療連携を行うのだが、ベースが違うので困難である。
一般的なキャリアサポートが展開され、利用期限の二年を通所し一般就労を行った。
そしてCさんは断薬し再発した。
入院後、再び集団療法の場へと戻ってきた。
同じことの繰り返しを防ぐため、障害者雇用枠での就労サポートを行ったのだが、本人の能力に見合う就労先がマッチングできなかった。
希望が叶う企業では、面接に進むことができなかった。
精神障害だからである。
Cさんは就職活動疲れを乗り越えながら、障害をオープンにし一般職として就労することができた。
今回は服薬の継続を約束することができた。
服薬さえしていれば、誰からも統合失調症であるとは見えないのがCさんの特徴でもあったのだ。
格致日新。
1人ひとりにそれぞれの支援の仕方がある。
人生は人の数だけあるので、当然であろう。
本人の望む生活を実現することが我々の使命なのだ。
格致日新を心に、今日もクライエントの支援にあたる。