統合失調症ではなかった統合失調患者のお話し
以前治療援助をした方から連絡が入った。
また体調を崩したのかと憂慮したが、そうではなかった。
来月より某大企業の短時間正社員として採用されたという報告であった。
私がその方(A子)と出会ったのは、心理検査の依頼であった。
エキセントリックな服装に大きめのヘッドフォンを首にかけていた。
年齢不詳。
見た感じは高校生のように見えるのだが、受け答えは今どきの若者である。
カルテの確認はせずに、心理検査を行った。
検査の結果は、精神病圏内(統合失調症やうつ病、器質性精神病)が否定され、学習不足による軽度の社会的知的障害水準であった。
ここでようやく、他院からの紹介状に目を通す。
「統合失調症」
紹介状にはそう記述されている。
疑義を持ち、当院の主治医に検査結果を報告する。
主治医も同意見であった。
A子は統合失調症ではないのではないだろうか、と。
(個人情報保護のため、一部情報を改変)
前医では統合失調症として治療が行われており、転院前に精神科病院に入院をしていた。
地域活動支援センターに通い、対人関係トラブルを起こしているという。
養育環境が悪く、生活保護世帯であり高校進学はしなかった。
アルバイトで生計を立てつつ、家族関係調整のために当院の近隣にて一人暮らしをし始めたため、治療継続目的での転院ということである。
家計状況は一人暮らしの生活保護受給中である。
アルバイトに着くものの長く継続が出来ない。
実年齢は見た目や言動よりも上であった。
精神科デイケアをすすめるのであるが、地域活動支援センターに通所しているために参加が難しい。
しかし、そこでは対人関係のトラブルが多い。
自宅ではSNSで知り合った複数の異性と会いゲームをしているが、暴行され性病にかかるなどを繰り返している。
治療の開始は減薬から始まった。
カウンセリングを行い、生活状況の改善や気持ちの言語化を促した。
数ヶ月の後、精神科デイケア導入となった。
この時点で、統合失調症と思わしき症状や言動は全くなかった。
集団生活を体験し、対人関係のトラブルに対して認知行動療法を行い、A子は明るく元気な女性となった。
依存的な側面は見られたが、病前性格であるようで介入は控えた。
私に対する依存やラブフィーリングが出現することとなるが、養育者との関係の再体験であると理解し、現実的側面での対応を心がけていた。
治療開始より一年後、服薬は無く一般のアルバイトを始めることとなった。
当院の見立ては間違いではなかったようだ。
A子は学歴の点において就職が困難であり、通信制の高校も考えていたが、生活保護を辞めたいという強い意志で、アルバイトを継続した。
何度も挫け、躓き、それでも立ち上がり、援助を上手に求めることが出来るようになった。
最後に会った時もアルバイトを辞めるという話であり、不眠が起こっていた。
治療期間は空いていたが、A子の想いや問題点についてじっくりと対話を持った。
そして今日、彼女は久しぶりの連絡をくれた。
心から嬉しかった。
体調も問題なく、明るく希望に満ちた声であった。
A子の声を聴くことはもうないだろう。
やっとそう思える報告であった。
事実、他医療機関から紹介されてくる方や、ドクターショッピングをしてくる方の中に、統合失調では無かったというケースは多い。
かつての診断基準を一時的に満たしただけの一過性の精神病状態や、自閉症スペクトラム、人格障害や知的障害の方などである。
DSM-Ⅴとなり、診断基準はさらに明確になった。
以前ほど統合失調症の診断名は付きにくくなっている。
明らかな陽性症状が存在しても、実は統合失調症ではないケースがあるのだ。
その持続性や薬効によるものを看過してはいけない。
生活状況でそうならざるを得ない方もいる。
まず診断ありきの援助をすると、足元をすくわれる。
もちろん逆の場合もあるし、主治医と意見を異にすることもある。
本質的な精神病を見分けるのは、大変難しい作業である。
他医療機関の診断が間違っているとは言い切れない。
その瞬間、確かに統合失調症であるのだ。
大切なのは、今を診ること。
そして、自分の感覚に敏感であること。
患者の最大限の利益は、病気を否定する事ではない場合もある。
しかし、不必要な治療を継続していく理由はない。
結果として障害者でなくなり、障害年金を受給できなくなることもある。
苦しい人生が始まることもある。
今までの生活や楽しみが変わることもある。
過去を悔いてしまうこともある。
それでも、偽りの統合失調症患者を作ってはならない。
統合失調症であっても社会生活をしっかり送ることができる。
寛解状態である場合もある。
臨床心理士であれば、心理査定やカウンセリングを通じて病態を把握する。
精神保健福祉士であれば、援助過程での困難点を通して病態を把握する。
そうすれば、自ずと診断名が見えてくる。
本当は違うのでないかと思うだけでなく、主治医とカンファレンスを行い適切な治療を行っていくことが必要だ。
昨日のクライエントは、今日のクライエントと同じではない。
日々学び、苦しみを乗り越え、治療が奏功し、今日のクライエントが居るのだ。
考えることをやめず、クライエントをしっかりと見ることが大切なのである。