おむえす

脳に栄養を

シュビングの傾聴

シュビング夫人をご存知であろうか。

 

なぜかあまり有名でないのだが、ゲルトルート・シュビングはスイスの看護師で、フロイト派の精神分析を学んだ。

著書「精神病者魂への道」に記されたシュビングの手技は「シュビング的接近」と呼ばれ、治療者がクライエントと共にどうあるのかを示している。

 

シュビング的接近は、シュビングが緊張症の少女アリスのベッドに毎日30分間、ベッドの側に静かに佇んだという「アリスの症例」に現れている。

アリスは保護室に入院しており、外界との接触を遮断していた。

毛布に隠れ、目も口も閉じたままであり、人工栄養によって命を繋いでいた。

シュビングがベッドに佇み始めて3,4日過ぎたころ、アリスは用心深く毛布から顔を出した。

シュビングは受け身の姿勢を崩さず、そっと見守った。

その翌日、アリスは口を開いた。

 

「あなたは私のお姉さんなの?」

 

「いいえ」

 

「でも」

「あなたは毎日私に会いに来てくれたじゃないの、今日だって、昨日だって、一昨日だって!」

 

 

精神病者の魂への道

精神病者の魂への道

 

  より一部抜粋)

 

このシュビング的接近は学生だった私の心を強く打つと同時に、コミュニケーションについて考えさせられる題材であったのだ。

 

新人さんが、関りにくいAさんについてカンファレンスに出した。

Aさんは統合失調症の方で、緩やかな陽性症状を持ちながら地域生活を営んでいる。

症状により就労は困難であり、母親の老齢年金と本人の障害年金で細々と生活しながら、週に2日だけ集団療法に参加する。

母親は厳格な人物であり、家庭での決まりごとが多くストレスフルである。

 

集団療法の場においては、独自の決まりごとに則り行動するタイプで、関わりにくさを出している日もある。

 

その日Aさんは、対人関係を避けるように室内の端に寄り、楽器を奏でていたという。

新人さんはAさんは関わってほしくないのだと思い、同じテーブルには着かずにそっとしておいたとのことであった。

 

これに対する私の意見は、「どうして関わってほしくないと思ったのか」から始まった。

Aさんは、楽器を弾いているのを邪魔してほしくないのではないかと考察したという。

新人であるということもあり、変化に対する警戒心をAさんから感じていた。

 

「それは確認しましたか」

 

確認はしていない。

そう見立てたのだとのこと。

 

正解かもしれない。

Aさんは変化が怖くて避けていたのかもしれない。

でも、他の可能性もある。

演奏について聞いてほしかったのかもしれない。

まずは、そのことを検証しなければいけない。

 

もし、話しかけられていることを避けていると見立てたのならば、どのように接近したらよいか。

ここで伝えたのが、シュビング的接近であった。

 

アクティブなコミュニケーションでなくとも、同じ空間と時間を共有してみる。

そのようなパッシブなコミュニケーションを繰り返すことで、警戒心が緩むかもしれない。

緊張を高めることになるかもしれない。

そのことを考えながら、シュビング的接近を行い、非言語的なコミュニケーションを行い、シュビング的な傾聴をしてみるのはどうであろうかと示唆したのであった。