伝えたいことは正確に
職業人としての生活を続けていると当たり前になってくることがある。
例えば専門用語の使用などは好例である。
看護師であれば「頻回」という言葉をよく使用する。
読んで字のごとく、頻繁な回数のことを頻回というのだが、正しい言葉なのかは疑問である。
調べてみるとWeb辞書には登場しているかつ、文学の中でも使用されているので日本語として正しくないとは言えないが、医療関係者以外には伝わりにくい言葉である。
専門用語を使わなくても、相手に当然伝わるだろうという言葉が伝わらないことが往々にして存在する。
コミュニケーションは共通言語でありながらも、その言葉に内包される意図を正確に伝えることは難しいのである。
医療関係者はコミュニケーションをとるということがとても重要な職業である。
患者さんの伝えてこようとすることを、可能な限り正確に受け取らねばならない。
こちらが伝えることも正確にお伝えすることが必要だ。
アメリカの研究では、80%の人が医療関係者に正しい情報を「意図的に」伝えなかったという。
それは、医療不信もさることながら、医療関係者の言っていることが理解できないからだという。
先日保育園とのやり取りについて記したのだが、その後再び子どもが排除されるという体験をしたので、すぐに文章にて抗議した。
その返答を母親が受け、こう伝えたという。
「怒るときもあるとは思うのですが、集団の中で指導してください」
怒ると叱るはどう違うだろうか。
つまるところ親としては、園で問題行動を起こしたときは子供に注意をしてほしい。
叱っていただいて構わないわけだ。
もちろん、家庭での指導・しつけも並行して行っていく。
母親が言いたいことには、母親の感情が内包されている。
「怒る」は保育士が怒っているのである。
状況から見るにあたり、保育士が管理上の問題で子供に怒りを感じ、集団から外しているのである。
それを辞めてほしいということを伝えたのだが、多分伝わっていない。
注意をして、しっかり叱ってほしいのである。
以前このような話をしたところ、不思議な特別扱いになり、特殊対応がなされた。
作業の時はいつも保育士がそばにつき、別テーブルで作業をさせられることになったのだ。
幼児検査を行ってもスクリーニングされない程度であるのだが、今回は整列できないことで保育士をいらだたせたのではと思っている。
つまり、こちらが意図したことははっきりと正確に伝えないと、相手は受け止めてくれないことがある。
コミュニケーションの難点だ。
我々のように言葉裏の真意を考え続けていると、自分の言葉も婉曲になりがちになってしまう。
相手に真意を理解してもらおうと思っても、思わぬところで額面通りのことが進んでしまうことになるので要注意である。