スキマの研究
「人がやりたがらないことをやる」
前職はやや特殊な診療科であった。
その病院本部はパイオニア的存在であった。
会長はまだご存命だろうか。
法人一同が会する学術集会の基調講演で、会長が述べたのが冒頭のセリフである。
某旧帝大の医学部を卒業後、会長は人が嫌がる分野をすすんで開拓した。
皆が見ないところ、人が避けるところ、それでも患者が必要としているところを充実させることが、会長の使命であった。
医療界の中でも汚い分野であり、専門としようとする人はいなかった時代である。
いわばトイレ磨きのようなものだったそうだ。
毎日毎日トイレを磨いて、いつのまにかトイレ磨きでは会長の右に出るものはいなくなっていたのである。
どうしてだろうという探求心、苦しみを治したいという医術、重ね続ける経験が神の手を作り出したのだった。
ケミストリー
大学で研究を行っている先輩がお見舞いに来てくださった。
入院中であることを伝えて8時間後である。
ありがたさと申し訳なさが募る。
先輩と過ごす時間は刺激的だ。
アカデミックであり、臨床を基礎としている。
「スキマを埋めていく」
先輩は自身の研究をそう表現される。
気になっているけど、研究の主流ではないこと。
当然だと思うけど解明されていないこと。
そこを明らかにすることで、社会に寄与できること。
一つのアイデアは私との対話で化学反応を起こし、さらに展開してく。
ライフワークとして取り組んでも終わらない世界が広がり、数百本の論文が想起される。
脳が喜び、疲労し、無意識の中でポッピングし、そうして集約する。
この繰り返しの濃密な時間である。
一瞬も無駄な時間がなく、世間話ですらアカデミックに昇華していく。
このような先輩に恵まれて本当にありがたい。
私の周りは、私の愛する人で包まれていた。
親愛の情に呼び方の違いはあれど、誰一人としてかけがえのない存在であった。
私の至らなさが自分の障害を招き、友情を失った。
忘れられてしまっているだろうが、かけがえのない友人だった。
明日に向けて、一歩一歩踏みしめていかねばならない。
人がやりたがらないことをやる。
毎日同じことを続ける。
限界を決めない。
脳はフル回転している。
こうなると時間が足りない。
早く退院して、行動に移す。
今できることをやる。
始めるタイミングは今なのである。