統合失調症のサポートに家族が重要だった事例
陽性症状の強かったクライエントが、昨日挨拶に来られた。
「お世話になってました。もう今日で終わりになりました」
どうやら診療が終結したようだ。
クライエントはC子(40代)である。
20代で発症し、注察妄想や幻聴・幻視に悩まされ入院となる。
統合失調症の診断がつき、入院加療を経て自宅静養していた。
症状改善がそれ以上望めないので、転院を決意し当院を受診した。
C子は閑静な住宅街に住む4人家族の長女、弟と両親と同居していた。
発症を機に失職し、日常生活は閉居的で泣いて過ごしていたという。
社会性のリハビリを目的とし、集団療法の適用となった。
私の前任者との関係が良く、集団療法への参加が安定していたころに前任者が寿退社することになった。
C子は集団療法の場では気配りが強く心配性ではあったが、芯の強い女性であった。
外見はかわいらしく、整容に気を使っていた。
前任者の寿退社を喜びはしたものの、そのショックが大きく体調を崩した。
身体化である。
私が勤務し始めて一か月ほどしたころに集団療法に復帰した。
週に1日程度の参加からスタートし、徐々に日数を増やしていった。
再燃することはなかったが、感情的な乏しさと疲れやすさが目立っており、休憩を多くとる必要があった。
私からのアプローチは支持的に行うこととし、C子との対話に努めた。
C子は温かい家庭に恵まれていた。
母親は病気だからと下を向かせることを良しとせず、母親自身もそのことでC子が苦しまないで済むよう留意されていた。
例えば、整容がしっかりしているのは病気というハンデで何もできないのではなく、外見はしっかり整えて変にみられないようにするなどである。
これは病気うんぬん以前に、成人女性としての心構えである。
いつも髪がサラサラでいい香りがしており、カラーリングも美しかった。
化粧はナチュラルで年齢相応のおしゃれな服を着ていた。
休みの日は両親と出かけることが多く、頑張って生活をしていた。
私が最も関わったのは就労支援の場面であった。
障害者雇用で働くのか、一般就労をするのかの選択で大いに悩んだ。
C子の状態からすると障害者雇用と障害年金で生計を立てることとも十分に考えられた。
働きやすさと症状の安定という観点からも障害者雇用をすすめており、メリット・デメリット分析やクライシスの回避など検討していった。
当時WRAPを用いた「元気回復行動プラン」なども策定しながらじっくりと検討していった。
C子は決めあぐねていたが、家族の意見は一般就労であった。
金銭的な問題はなかったため、短い時間の一般就労でも構わないという母親との面談を経て、C子を一般就労でのサポートを行うことにした。
仕事を探し面接を受けた。
C子は一般就労でありながら障害をオープンにすることを目指した。
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面接は困難を極めた。
当時、精神障害に対する社会的理解は乏しく、オープンにすると働くことが困難であるとの認識に結びつくことが多かった。
飲食店を応募したときに病気のことについて聞かれた。
そのときC子はこう答えたという。
「うつる病気ではないから大丈夫です。元気に働けます」
質問とのズレは仕方の無いことであるが、C子は病気を抱えながらも懸命に働きたいと考えて居ることが私たちには痛いほど伝わり、悲しみを覚えるほどであった。
そのような就職活動の結果、近所のクリーニング店の受付として採用された。
週に3日の短時間労働であったが、C子とともに喜んだ。
2か月は定期的に状況報告をしてもらい、問題について解決を共に考えていった。
3か月目には問題なく勤務ができるようになり、私たちの重点的な支援は終結した。
その後徐々に日数を増やし、時間も伸びていったのだが、もっと働きたいという気持ちが強くなったようで2年後に転職した。
転職先はかねてより希望していた製菓店でフルタイム勤務を始めた。
激務がたたり、処理が追い付かず体調を崩したのは、最初の就労から5年目のことであった。
集団療法の場で一か月の静養を行った。
その間、私はC子をねぎらいつつ、つまづいた問題を洗い出し、認知療法を行い、復帰後の就労支援を行った。
1か月で復帰したのちは安定して勤務していたが、製菓店の閉店に伴い失職した。
就職活動中の日常生活の維持を目的に再び集団療法を用いつつ、就職活動を展開していった。
このころになると、我々の就労支援は不要となっており、症状も長いこと安定していた。
調剤薬局の事務を得て再就職し、4年が過ぎた。
寛解状態が長く続いていることを鑑みて、減薬を行った。
職場環境が良いこともあり、ドラッグフリーとなり、さらに1年が経過した。
そして昨日、治療が終結した。
C子のケースで何が治療上よかったかというと、家庭環境であろう。
家族のサポート体制が温かく心強かった。
私たちの就労支援や心理的援助はそのオマケくらいのものだ。
薬物治療の状況を見ると、本当に統合失調症であったのかという検討をこれからしていかないといけないだろう。
初冬に治療終結の挨拶をしてくれたC子に心は暖まった。
何かが起こった時のセーフティーネットとしての機能となった我々はC子に「おめでとうございます」とお伝えし、C子を見送ったのである。