誰かの口を使って語られるネガティブワードは本人の意見である
今の勤め先に就職したときより、病院長から10数年言われ続けていることがある。
「精神科医療は斜陽産業だ」
精神科バブルが終わり、医療費圧縮のために精神科診療報酬は減算されるであろうという、至極真っ当な意見である。
ところが、その実大幅な減算は無く、精神科クリニックが乱立することとなっている。
そして、ここ数年言われていることは、
「集団療法は世の中が必要としていない」
ということだ。
年末に「集団療法をさせてください」と願い出たばかりであるのに、昨日もこの話題に終始した。
人員体制を整えることも、私の外来診療日を増やすことも真っ向から否定された上での言である。
果たして集団療法を世の中が必要としていないのだろうか。
答えは明確であり、世の中の精神科デイケアなどの実情を見ると決してそうではないことが窺える。
福祉施設だけでは地域支援はカバーできないのである。
つまり、「世の中が集団療法を必要としていない」のではなく、「私(=病院長)が集団療法を必要としてない」ということだ。
続きを読むどうしてわからないんだ!の対処法
人間とはわかってもらいたい生き物である。
わかってもらえないことは、悲しいことであり、腹が立つことでもある。
承認欲求の一部でもあり、他人から認められたいという気持ちの変性と考えて差し支えないだろう。
ところが、これが難しく、相手に伝わらないということが往々にして起こる。
「これくらい言わないでもわかってくれ」
「どうしてわからないんだよ」
「普通わかるだろう!」
といった思考の罠に陥りやすい。
では、どうしたら相手に伝わるだろうか。
続きを読む確証バイアスの罠にはまらず検証を行う
人間は確証を持ったものを、選択的にピックアップする傾向が強い。
例えば、近所に有名なランチの店があったとしよう。
最近ではすぐにスマホで検索して評判を見ることができる。
某グルメアプリでは☆4であり、訪問ブログなどを読んでも好意的であなた自身も行きたくなるわけだ。
実際行ってみると、数十分の待ち時間を経てランチにたどり着く。
ブログで見たメニューを注文し、おいしいと感じているのではないだろうか。
もし、これがあなたの知らない、もしくは全く検索せずに立ち寄った店であればどうであっただろうか。
まず、数十分並ばねばならないことに抵抗を感じるかもしれない。
提供された料理は特別なものではなく、ランチの一つであり、どうしてこんなにも繁盛しているのか不思議に思うかもしれない。
ここに確証バイアスが少なからず存在している。
グルメアプリでは☆1や2をつけていた人もいただろう。
そこには「待ち時間が長すぎて…」や「スタッフの対応が…」など、否定的な意見もあったはずだ。
しかし、我々は自分が「おいしいに違いない」と思って調べているときは、そのような意見に目を通さなくなってしまう。
自分が得ている確証(=おいしい店だ!)を強化するための情報しか取得しなくなってしまうのである。
続きを読む舞鶴の「ゆうひ食堂」のランチはホッとするお味
先日、研究会で福岡市の天神地区に行っていた。
昼食に何となく天丼が食べたくなり、北天神地区を徘徊していたのだが、これといったお店に出会わず、気が付けば舞鶴地区に入っていっていた。
親富孝通りと改名されたかつての繁華街は、地元の署名により親不孝通りへと戻ったらしい。
かつては、大手予備校がひしめき、天神からこの親不孝通りを通って浪人生が予備校に通っていたという歴史があり、夜になると若者が集まる地区であった。
予備校の閉校と共に治安が悪化し、よろず町通り(本来の通名は万町通り)→親富孝通りへと改名されたという経緯をもつ。
さて、この親不孝通りから一本入ったところに「ゆうひ食堂」が存在する。
続きを読むシュビングの傾聴
シュビング夫人をご存知であろうか。
なぜかあまり有名でないのだが、ゲルトルート・シュビングはスイスの看護師で、フロイト派の精神分析を学んだ。
著書「精神病者魂への道」に記されたシュビングの手技は「シュビング的接近」と呼ばれ、治療者がクライエントと共にどうあるのかを示している。
シュビング的接近は、シュビングが緊張症の少女アリスのベッドに毎日30分間、ベッドの側に静かに佇んだという「アリスの症例」に現れている。
毛布に隠れ、目も口も閉じたままであり、人工栄養によって命を繋いでいた。
シュビングがベッドに佇み始めて3,4日過ぎたころ、アリスは用心深く毛布から顔を出した。
シュビングは受け身の姿勢を崩さず、そっと見守った。
その翌日、アリスは口を開いた。
「あなたは私のお姉さんなの?」
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