いつも心にパラソルを
パラソルと言いつつもアンブレラの話。
冬の雨は鬱屈としている。
雪になりそうな予感もする冷えた雨。
どんよりと重く、薄暗い。
そんな中、小さな折りたたみ傘を開いて最寄駅から職場へ向かう。
目の前には同じように冷たい雨に身を小さくして歩く勤め人達。
真っ黒なスーツに真っ黒な雨傘。
同じようなレインブーツに透明のビニール傘。
小学生は冬の朝でも楽しそうに傘をさしている。
パステルカラーの傘が上下に踊っている。
私の傘を見上げると、少しくたびれてはいるが、水色の小さな折りたたみ傘に、ウサギが遊んでいる。
先日クライエントが毎日の過ごし方について相談してきた。
これからの目標が見つからないという。
年老いた両親と暮らし、クライエントは統合失調症を患っている。
陽性症状は消失し、寛解状態ではあるのだが身体化が起こり行動に制限がかかる。
身体化と断じているのは、整形外科的診断において明らかな異常がなく、解離性運動障害とされているからである。
この身体化をどう見るかは一つのポイントであるのだが、クライエントが現状を受け入れるための方法であるのではと考えている。
かつては、就労支援のグループに参加し、全国的な科学調査の研究班の被験者として認知機能の改善を伴う就労支援プログラムを行っていた。
認知機能の明らかな低下は認めらず、職業能力は保たれていた。
当時は陽性症状が繰り返し出現していたため、障害をオープンにするという働き方の支援を行っていたのだが、気位が高く、一般での就労を希望していた。
本人の希望を叶えるように支援を行っていっていたのだが、主治医の許可が得られず就労活動は断念する運びとなったのである。
保護された環境外での行動では容易に増悪してしまう状態であったため、医療的にはとてもではないが就労は危険であるとの判断であった。
確かにクライエントは入退院を繰り返しており、その都度傷ついていた。
本人と家族を交えて相談を行ったのだが、家計的に安定していたこともあり就労という道は諦めることになったのだ。
その後は家族の世話のためにしばらく支援を離れていたのだが、数年がたち家族との距離が密着しすぎたことが息苦しくなり、支援を再開することになったのだ。
そこで先ほどの話になる。
「これからどう生きていけばいいのか」
クライエントはそう悩んでいた。
私はどう過ごしたいのか尋ねたのだが、わからないという。
しばらく二人で考えたのち、私はこう述べた。
「美しく生きましょう」
具体性も何もない、唾棄すべき言葉だと恥ずかしいのだが、クライエントの心にはなぜか響いた。
「美しくですか」
「見た目のことじゃないですよ、美しい生き方って素敵じゃないですか」
「素敵です!」
言い忘れていたがクライエントは女性である。
ここから、美しい生き方について考えていった。
美しいというのは、心が喜ぶことやモノである
そう私たちは考えた。
それは、特別なおやつであったり、じっくり考えて決めた靴であったり、手間をかけて淹れた紅茶であったり、好きな音楽に浸る時間であったり。
金銭的価値ではなく、心の豊かさを指標としようと話した。
まずは、素敵なもの探しから始めることにしたのだ。
さて、冷たい雨の朝、辺りはどんよりと暗い。
水たまりに気を付けながら下を向いて歩いていた。
男らしい黒い傘も考えてのものならば素敵である。
透明のビニール傘も機能的だし、見られることを意識してのことであれば美しい。
でも、雨にはしゃぐ子供のパステルカラーは明るかった。
自分の水色のデザイン傘を見上げた時、私の心は確かに喜んだ。
傘を使う機会は意外と少ない。
さらに、安傘でなければかなりの年数使用できる。
こういった小物に素敵さを取り入れて、クスリと笑いたくなるような素敵な時間を持ってほしい。
誰に見せるわけでもない。
でも見てくれた人の顔が上がるようなもの。
私の嬉しいものは、きっと周りにも喜びを与えてくれる。
あの小学生のアンブレラのように。
Photo by Kipras Štreimikis on Unsplash