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脳に栄養を

神経発達障害群の成長に見る社会生活の障害

神経発達障害群の中で、旧来アスペルガー障害と呼ばれていた疾患がある。

アスペルガー障害はドラマや映画での啓もう及び、KYブームの中で広く知れ渡っているだろう。

社会性の障害としてとらえると理解しやすい。

アスペルガーの心性としては、強いこだわりや場の状況を読めないことなど、他者理解に問題がある。

しかし、これだけで本人が困ることは少ない。

社会集団に属するときに問題が露見する。

社会構成員として生活をすると、他のマジョリティーと馴染めないのである。

結果として、マジョリティーを対象にした業務や協調の世界から迫害を受けやすく、精神症状を惹起したり、社会生活に不適応を起こしたりする。

システム化した社会にしっかりとはまることが難しいのは、配慮不足でもある。

ある企業は神経発達障害群を対象とした職場の提供を行っており、ブースに仕切られた職場は電話が置いていないという。

途中で予定外の業務が挟まれないような配慮がされており、働きやすさと業務の効率化が実現されているのだ。

このような場所では症状が問題となることはなく、本人の望む仕事が行えているのだ。

 

さて、発達という観点からアスペルガー障害を見てみよう。

f:id:psycocoro:20181212094002j:plainPhoto by Nikola Jovanovic on Unsplash

 

幼少期の行動から特徴は現れているため、乳幼児健診などで相談に回ることが多い。

乳幼児検診には心理専門家が相談コーナーを設けており、必要であれば聞き取りの心理テストを実施する。

この年代ではちょっと特徴的な子供である。

身体接触を避けることや、限局した興味、分野特化型の知識やことばの特異さなどが目立つ程度である。

幼保に進むと、集団の中でトラブルが発生してくる。

他者視点の重要性がここでわかってくるのである。

相手がどう思うか、注意して話を聞くことができるかなど園からの連絡が増えることとなる。

本人はやりたいことが思うように進まないというストレスにさらされる。

小学高低学年の間は、クラスメイトからだんだんと嫌がられてくる。

学業成績は優秀なことが多いが、科目によるアンバランスが目立つ。

高学年になってくると、アイデンティティの確立が起こり、自己と他者の区別がはっきりとしてくる。

あの子はおかしいといわれることが多くなり、友達作りがうまく行かなくなる。

もっとも本人は興味のある世界で楽しめるので、この時期に興味の方向性を確認出来ておくとよい。

中学生になると思春期が始まり、周囲は他者から愛されたいという欲求が起こる。

そのため、コミュニケーションは複雑化し、返答に感情が織り込まれてくる。

そのような言葉の機微を受け取ることが難しいため、コミュニケーションの齟齬が起こり始める。

本人ははっきりとした答えが当たり前の世界のままであるため、慮るということが難しい。

高校生になってくると、周囲との軋轢は広がり、いわゆるオタクタイプとなるのだが、悲しみを強く感じている時期と言える。

この時期に不登校となったり、抑うつ感情が出現したり、暴力的になったりとしやすい。

成人すると所属する社会で先に述べたような不適応が起こりやすくなる。

老年期に入ると社会的問題が見えなくなり、ちょっと頑固な高齢者になっていくだけである。

 

つまりは社会に所属しないと生きられない日本社会が神経発達障害群を不適応へと導くのである。

実際には脳機能の特殊さが症状を起こしているので、神経発達障害群は確かに存在する。

しかし、そのことが「障害」となるのは、社会性の障害であると言わざるを得ないのである。

症状によって、日常生活および社会生活が制限を受ける状態を「障害」という。

神経発達障害群は、日常生活の障害は本人の望むことを叶えることであり、周囲から見た障害(生きづらさ)である。

そのことが社会集団では実現できないため社会生活に制限が生じているのだ。

 

支援者はこのことをよく考え、どこが問題となっているのか、その心性をイメージするようにしよう。