おむえす

脳に栄養を

組織維持のための組織はいらない

新年おめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

f:id:psycocoro:20190104100750j:plainPhoto by Brooke Lark on Unsplash

 

体調不良で寝込んでいたものの、なんとか新年を無事に迎えることができた。

あれから身体化がさらにすすみ、風邪は治らないし、背中が痛み始めた。

ストレスに弱い自分を情けなく感じるのである。

咳のし過ぎなのかもしれないし、人工骨頭の影響なのかもしれないが、左の肩甲骨付近にギックリ腰のような痛みを感じており、ちょっとした動作でズキッと痛む。

結局動けなくなり、痛み止めを飲み続ける年末年始であった。

 

しかし、採用活動の結果、何とか人材の確保が叶った。

 

身体化するほどのストレスを感じながらの採用活動および勤務調整であったのだが、やはり「何のために働くか」を強く感じることとなる期間であった。

 

何のために労働を行うのかは、やはり賃金のためと考えるだろう。

私もその心づもりであったのだが、集団療法終結することになったとき、自身の治療者としての終わりを受け入れることができた。

結局粘りに粘り、延長できることになったのだが、受け入れた時の心境は役目を終えたような感覚であった。

集団療法の対象クライエントの今後を考えていくにあたり、もう一年の延長を願い出たのだが、この時に賃金のことなど頭にはなかった。

給与のために働いているのは嘘ではない。

生活のために必ず必要である。

しかし、振り返ってみると決して平均的な年収で過ごしてきてはいなかった。

 

働き始めて10年は週に6日勤務し、有給や年次休暇など一切なく低賃金でがむしゃらに働いた。

日々が勉強であり、休みになれば体を壊し、一日で回復してまた治療にあたる毎日だった。

もっと条件のいい職場や、別の職種がたくさんあるなかで、どうして続けてきたのか。

 

それは、集団療法を、そして心理支援をしたかったからに他ならない。

 

いつしか自分のための仕事は、誰かを救いたいという一心に変化していったのだ。

 

金銭的に困窮したこともあるし、暴行を受けた際の治療費の借金が今も残っている。

それでも続けられたのは、この職場が自分の行いたい治療をさせてくれていたからなのだ。

 

組織解体も視野に入れながらあと一年の延長となった。

人員の配置変換なども私が担い、調整を行っていったのだが、それはもう苦情が絶えなかった。

このストレスが不調の主たるものである。

クライエントから受けるストレスなどほとんどない。

クライエントからの苦情は、自身の技量不足であるから反省する部分なわけであり当然なのだ。

しかし、組織人員は別だ。

自分の職域・手技・手法を守るあまりに、変化に対して牙をむく。

変えられないのである。

 

これに伴い最終人事権を持つ病院長に2名の退職を上申し、1名は退職することとなった。

残った1名はとにかく苦情を言い続ける。

 

苦情を受けながらふと思うのだ。

 

この人は何のために働いているのだろうと。

 

自分が働く組織を維持することに執心しており、全体は見ていない。

ましてやクライエントのことなど考えてもいない。

 

一緒に仕事をするということは、このようなスタッフをクライエントとして接していくことでしか、私の心は守れなくなっていく。

組織維持はなんとか達成できたものの、今後の組織がどうなっていくのか。

 

とにかく、新人教育に力を入れ、組織維持のための組織にならないように注意して新年を送っていきたいと思う。