苦しみに触れていなかった
以前、解離症状が手指に出ており、物がうまく扱えないクライエント(A美)がいた。
A美は統合失調症の40代であり、入院歴がある。
破瓜型であり陽性症状が強かったが、初期対応が良かったことと家庭のサポートが篤かったこともあり、外来治療にすぐに遷移できた。
遅くに出来た子らしく、両親は老いており妹は結婚し遠方で生活を送っていた。
自虐的な幻聴と恋愛妄想が増悪時には見られるが、薬物治療で軽快する。
当時、手指に起こっている解離症状は、本人の病気や現状に対する忸怩たる思いの現れであろうと考えていた。
最近、信頼している先輩とA美の症例について話す機会があった。
A美は両親の体調が悪くなり、集団療法を中断しており関わることが無くなっていたのだが、両親が落ち着いたとのことで、二年ぶりに集団療法を再開していた。
手指に出ていた解離症状は片足へと変化しており、歩行が困難になっていた。
先輩はその話を聞き、こうおっしゃった。
「A美さんは、家に居たくなくて何もできないと手指に解離が出ていたのかもしれないね。そして今は集団療法に行きたくなくて、動けないと足に解離症状が出ているのかな」
ハッとした。
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当たり前のことを忘れていたのだ。
なぜ、解離症状が出なければいけなかったのか。
どんな悲しみや苦しみが解離症状として現れたのか。
そこに思いを巡らせていなかった。
同僚がどうのこうのではなく、自分が仕事していなかった。
愕然とした。
全く頭に浮かべていなかった。
このようなことはカンファで上がるはずなのだが、同僚との実の無いカンファでは、通り一遍で終わってしまい深まらない。
申し送りでも医師に問うことをしていなかった。
何よりクライエントの苦しみに触れていなかった。
いや、触れるのを避けていたのかもしれない。
次回お会いするときは、臆せず解離症状に触れ、集団療法に参加してくれていることをねぎらっていきたい。
そうすることで症状が消失するのかどうか、また報告していきたいと思う。