おむえす

脳に栄養を

やらない努力

カウンセリングや集団療法の場において、クライエントに提案をすることがある。

特に集団療法では、作業などクライエントの状態と目標に応じて設定しているため、治療としてしっかりと行ってもらう必要がある。

もちろん、本人には同意済みで進んでいるはずなのだが、作業となると「やりません」というクライエントが少なからず存在する。

 

本人の自由意思の尊重はなされなければならない。

さらに強制はできない。

あの手この手で本人の動機や意欲を高めようとするのだが、頑なにされない。

いかに重要か、少しだけでもやることなど説明するが、もちろんされない。

f:id:psycocoro:20181116094856j:plainPhoto by Cristian Newman on Unsplash

 

こうなってくると意地の張り合いが始まってしまう。

クライエントは言語化できないことが多いため、なぜやらないのかも判明しない。

想像を巡らし多方面からアプローチするもされない。

 

こうなってくると、セラピスト側に不快感が生じ始める。

やらないことを責める気持ちが芽生えてくるのだ。

 

もっともこの反応は自然なもので、恐らく社会生活においても同様のことが起こっており、その再現であったり、コミュニケーションスキルの乏しさから生じる問題であったりするのだ。

 

セラピストはその気持ちを受け止め、転移感情に気づき、それを活かしてさらなる支援を展開していく必要がある。

 

まず、やりたくないという気持ちを受け取る。

やりたくないんだということを理解しなければならない。

その上で、やらないのかできないのかを検討していく。

 

セラピストからすると「やらない」ことに最大限の努力を払っているように見える。

しかし、もしかすると今回は「できない」のかもしれない。

明らかにやらない努力をしているように見えても、必ずこの観点にたどり着くように心がけよう。

 

当たり前のことのように聞こえるが、いつも同じことを繰り返すクライエントやセラピストのシェマ(スキーマ)によって、容易にやらない努力をしているように感じてしまう。

また、準備したものに乗らないことが、自分への無価値感を高めることとなり、怒りが沸き起こるものなのだ。

セルフモニタリングを忘れず、一歩引いたうえで自分の考えを言語化していき、クライエントの気持ちに寄り添っていかねばならない。

 

それでもクライエントは作業されないので、代理で行うことや、その場にいること、または今回はできなくても大丈夫であることを保障し場を離れることを認めて行くといった対応が求められるのだ。