おむえす

脳に栄養を

コスパなんて言っている間は庶民

激安店に行くと、場にそぐわぬような立派な車から、見るからに裕福な人物が出てくるのを目撃することが多々ある。

 

もっとも、私の暮らすような田舎では立派な車にそぐわないヤンチャな方がおりてくることもある。

それはさておき、こういう時不思議な気持ちになる。

 

「あんな人でもこんなお店に来るんだな」

 

金持ちかどうかは実際わからないのだが、高いステータスの所有物があるのは間違いない。

 

金持ちはケチなのか。

 

この件を庶民仲間に話すと、金持ちだから節約しているのだという話が多い。

一方で、金持ちと会合する機会があっても、何ら恩恵はなかったなどとの話も聞く。

 

庶民からするとケチと感じてしまう。

 

なぜか。

 

富裕層はお金の価値を知っている。

 

億男で語られるようなお金の価値や意味とは少し違う。

 

億男 (文春文庫)

億男 (文春文庫)

 

 富裕層はコストパフォーマンスという言葉を使わない。

コスパなんて我ら庶民の好きな言葉だ。

 

費用対効果である。

 

消費行動がいかなる意味を持つのかを知っている。

 

どこで何にどれだけ消費すればいいのかを考えている。

 

もしあなたに対して経済的に豊かな相手が何もしてくれないのならば、ケチな人間なのではなく、あなた自身に費用対効果が少ないのである。

f:id:psycocoro:20181114092044j:plainPhoto by lucas Favre on Unsplash

 

富裕層は必要な時に必要な分だけ費用をかける。

激安店で飲み物のストックを買うことがあれば、経済的観念からその場で自動販売機の缶コーヒーを買うこともある。

 

経済感覚が庶民とは違う。

 

庶民的感覚の我々が、貧困層の相手と対峙したときに、相手に対して何かしらの経済的援助を買って出るだろうか。

 

富裕層の我々に対する感覚もこれに近い。

施しを行うかどうかは、経済的余力ではなくその人物の気質によるものだ。

 

金持ちはケチなのか。

そうではない。

自分が費用対効果のある人物と認識されないだけである。

コスパを求める我々は、自分を高めていかねば人間の価値が高まらない

 

それでも私はコスパ大好きであるから恥ずかしいばかりである。