おむえす

脳に栄養を

カウンセリング時間に遅れて入室したC君

先日、予約時間と介入について述べた。

psycoro.hateblo.jp

 実際にどのような介入方法があったか、直近の架空事例をもとに考えてみよう。

 

架空症例:選べないC君 20代後半

生育歴:

4兄弟の第三子次男として誕生。生家は医業を営んでおり、幼少時に発達的問題はなかったという。小学校高学年より行き渋りが出始め、中学1年より不登校となる。単位制高校へ進学し、留年しながらも卒業する。このころ両親が離婚。兄は非行に走る。姉は家業を継ぐため医学部へ進学。本人は興味のあった電子系の専門学校に進学する。専門学校卒業後は進路が定まらず、自宅にて過ごしている。

 

現病歴:

小学校高学年より自意識が高まり、変に見られるのではないかと考え始めた。段々人前で喋ることができなくなり、学校に行けなくなった。専門学校在学時、就職課のすすめにより、障害の有無を調べる目的で当院受診となる。心理検査を実施し、選択性緘黙症およびADHD傾向の診断となる。以後カウンセリングを併用しながらADHDの治療を外来にて継続している。

 

カウンセリングの経過:

緘黙の治療を目的に、認知行動療法および力動的心理療法を展開した。カウンセリング中の発言は徐々に見られるようになり、表現に時間がかかるものの、意思を表明することができるようになった。職業選択で迷っており、電子系で働きたいという意思はあるものの、雇用されるということに不安が高く、就職活動を避け続け卒業した。就職活動が進まない状況に、家業の手伝いとして専門職への道も提示されたが、選択することができなかった。卒業までのカウンセリングの契約であったが、就労サポートとして継続することとなり、在宅ワークの実現を軸にしてカウンセリングを行うが、取り掛かることができないまま半年が経った。

事例)

普段はカウンセリングに遅れることなく参加できているC君であったが、15分経ってようやく入室した。今までの遅刻は寝坊で1度だけ遅刻したことがあったくらいである。前回のカウンセリングでは、免許取得に向けての動機付けなどが主題となっており、免許試験場に行く予定になっていた。カウンセリングの予定は30分であり、カウンセリングは無料である。ラポールの構築はできており、集団療法にも一度参加することができている。

カウンセリングの開始の挨拶をし、C君は所在無さげにうつむいている。

C君から遅刻に対する言及が無いことを受け、セラピストから尋ねることにした。

「今日はいつもより遅かったけど、何があったんですか」

「…何かあったんでしょうか」と反復するようにつぶやき、再度質問すると「来たくなかったというのはあります」と言語化することができた。

 

検討点:この言葉の真意や意味を考え、どのように対応するとよかっただろうか

 

考え方としては、遅刻したことの意味からブレインストーミングを始めよう。

 

なぜ来たくなかったのか。

・カウンセリングに対する抵抗

・変わらない現状への苛立ち

・カウンセラーへの不満

・家庭内での問題が起こった

・社会的な目としてのリアリティからカウンセリングが嫌になった

・金銭的な問題で継続が難しい

・免許試験で問題が起こった

・自分で何とかしようと思った

 

など、すぐに思いつくところである。

読者の皆様は他にも、色々な可能性を見出されたことだろう。

それも全て大切な見立てになるが、今回はこれだけで展開していこう。

 

ブレインストーミングによって並べたアイデアは、どれも想像の域を逸しない。

検証が必要である。

相手の状態や関係性によって、どう聞くかは千差万別である。

C君とはラポールが形成されており、言語化もカウンセリングルーム内では可能であるので、直接訪ねることにする。

 

「来たくないという気持ちは、どういった理由からでしょうか」

 

「…親からお金をもらって毎週来ている価値が、僕にあるのかと思って」

 

金銭的問題は、これは無いなってところから出ていたアイデアであるが、今回は当たったようだ。

途中まではカウンセリングや診療に価値があるのかという話題になるかと思ったのだが、最後に自分の価値と言語化していた。

そのまま鵜呑みにもできない内容であるので、自尊心の低下とカウンセリングの脱価値化を主題に短いカウンセリングを行い、中断することもできることを保障して診察に回ってもらったのである。

 

f:id:psycocoro:20181012175031j:plainPhoto by David Olubaji on Unsplash

さて、カンファレンスにおいては、遅刻してきたことに対するセラピストの心情に焦点が当たる。

つまり、遅れている時セラピストはどのような気持であったかと。

実は、「来ないだろう」と思っていた。

「来ないだろう」とは、「来ないでほしい」を他責化しただけである。

セラピストもC君とのカウンセリングを脱価値化しているわけだ。

進展が乏しいC君とのカウンセリングが長期化しており、支援の波に乗れないもどかしさがカウンセリングには充満していた。

それを打ち消すかのように世間話を織り交ぜ、表面上明るく終了していたわけである。

 

これにより明確になったことは、クライエントのC君とセラピストは共同して面接の展開を妨げていたということである。

行動に移せないことや、リアリティのある問題としてカウンセリングで取り扱っていくことがアジェンダとして設定される必要がある。

そのため、C君にとって苦難となろうとも、洞察を深めていく療法を進めてくことが有効だ。

 

といったように、ただ単に遅刻として片づけないことで、カウンセリングは展開する。

いつもと違うことが起こるということは、何かしらのメッセージなのである。

できれば、いつもと違うことが起こる前に、セラピストは積極的にカウンセリングの評価を行い、方向性を確認していくことが望まれるのである。