「じゃあ○○しない」は自身の無能力を認めているだけなのだ
職場の雰囲気が悪い。
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というのも、私は部門の管理者であり、同僚は一名。
その同僚はパートで年上である。
これがもう仕事しない。
対人援助職であるので、クライエントに対して何を提供するかが重要なのだが、そのような感覚は薄いように思われる。
対人援助職は感情労働である。
こちらの感情をコントロールし、クライエントを援助していくのが基本である。
しかし同僚は感情的労働をなさる。
好き嫌いが物事の判断である。
自己研鑽が無く、太平楽に過ごして退社する。
私にとっては同僚はクライエントの一人にすぎない。
もちろん、他のクライエントから同僚に対する不満が表出する。
部門の管理職の辛いところは、絶対的人事権が無いところである。
人事権を持つ管理者に数年提言しているが、決して解雇しない。
ただ、毎日を過ごすだけの人物だ。
私が同僚をクライエントとして接しているので、普段は楽しく自由気ままに過ごして帰られる。
しかし、昨日私がクライエントとして接さなかったことが原因なのか腹を立てていらっしゃる。
おかげで重苦しい雰囲気が漂う。
今日はクライエントにささくれた対応をされるのだろう。
もちろん、同僚に注意すべき事案である。
でも、疲れた。
もういい年をして、こういう基本的なことを注意されないと直せないのは社会人として欠格だと思う。
数年言い続けたことでもあるのだ。
きっかけは些細な事。
いつものように家庭事情ばかり話される同僚に、私の意見を述べた。
週末の行事の話で、ワーワーおっしゃっていたので、連休半ばは台風が過ぎるという話をしたところ、がっつり否定してくる。
流せばよかったのだが、非常にどうでもいい話かつ、不愉快であったので、「怒られましたね」と口にしたのがいけなかった。
「じゃあ、もう話さない」
どうでもいい。
話さずにさっさと帰ってもらった。
さっさと帰らさせられているのが、役に立っていないからとは気づいていないと思う。
居ても仕方ないから、いつも早く帰らせるのだが、昨日はさらに30分早く帰らせた。
この「じゃあ○○しない」というのは本当に困る。
何も議論の余地はない、シャットアウトである。
やりたくないことを他責しつつ、獲得するための無能者の常套句だ。
できないと認めているだけで、何ら解決策も方針もなく、拒否している。
成長することもなく、改善することもない。
役に立たない人物とはっきりわかる。
たとえば、クライエントに対する援助について指導する。
「じゃあ、その人と話しません」
たとえば、クライエントから苦情が出ていることを伝える。
「じゃあ、かかわりません」
この日常であったため、まるっきり期待していないし、クライエントと関わってほしくもない。
だから、私は同僚をクライエントと思い、丁寧に接している。
他のクライエントが傷つかないように。
いつ言ってくれるのか待っているのだ。
「じゃあ、辞めます」
の一言が出るのを。