おむえす

脳に栄養を

カウンセリングのセカンドオピニオン

カウンセリングがうまくいっていいないという相談を受ける。

内容は様々だが、カウンセラーとの関係をうまく築けないことが多い。

私もカウンセラーをしている。

カウンセリングの相談は、カウンセラーに対する不信感が見え隠れする。

というか、前面に出ている。

担当のカウンセラーの手技手法を非難することはたやすい。

しかし、カウンセリング中の動向に意見を挟むことはしてはならい不文律である。

なぜか。

 

カウンセリングはカウンセラーとクライエントの治療関係の下に成り立っているのだ。

担当カウンセラーからスーパーバイズ(教育的監督)を求められているのであればその限りではないのだが、クライエントからセカンドオピニオンを求められることは現状不可能である。

 

医療においてはセカンドオピニオンは推奨されるものであろう。

なぜなら、セカンドオピニオンにあたり診療情報が提供されるのである。

カウンセリングはこの絶対的な根底に乏しい。

カウンセリングが医療機関において保険診療の対象となる治療行為とは認められていないのだ。

つまり、カウンセリングのセカンドオピニオンは成り立たないということが前提条件なのである。

次いで重要なのは、カウンセリングにはオリエンテーションに基づき色々な状態が存在するのだ。

 

一例を挙げると

 

第一段階:カウンセラーへの期待

第二段階:カウンセリングへの不満・怒り

第三段階:治療者への不信

第四段階:自身の問題への帰着

第五段階:治療的展開

第六段階:健康への逃避

第七段階:終結への抵抗

第八段階:治療過程の振り返り

第九段階:終結

 

といった過程である。

カウンセラーへの不満を抱きやすい第二段階での相談が多いのはお分かりいただけるだろう。

カウンセリングではそのような不満も治療の一段階として取り扱うため、他者がその手技手法に難癖をつけるということは困難であるのだ。

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しかし、先日このような相談があった。

治療が展開しないので、カウンセリングを辞めるかどうか決めると言われたとのことだ。

カウンセリングや問題解決への意欲が見られないと言われたという。

 

この内容を鵜呑みにすることは危険であるが、それでも感じてしまう。

 

カウンセラーの能力が低い。

 

事実がどうであれ、クライエントの心的事実としてこのような不安を抱かせるカウンセリングはいかがなものだろうか。

これは、クライエントの不安をカウンセラーが感じ取り、カウンセラーがカウンセリングに不満を感じているのである。

意欲が出なくて困っている、問題が解決に向かわず困っている。

そのような状態を共に考えることがカウンセリングであろう。

このことを私がクライエントに伝えることはできないので、カウンセラーを否定せず、カウンセリングを否定せず、傷ついた気持ちを聞き、感じている不安をカウンセラーと吟味することを勧めることしかできない。

 

公認心理士が国家資格となる。

旧来のカウンセラーからすると、技術を持たないカウンセラーが増えることを危惧している。

人の心は難しい。

何十年カウンセリングを行っていても、日々研鑽でありクライエントに教えを乞う立場なのである。

国家資格化によりカウンセリングが診療報酬に記載されるのであれば、今後必ず随伴していただきたいのは、カウンセリングのセカンドオピニオンの整備である。

苦しむためにカウンセリングを行うわけではない。

一筋の光明を求めてカウンセリングを受ける。

カウンセリングの主役はクライエントである。

カウンセリングのセカンドオピニオンサービスは必ず必要になる。

その時私はクライエントのためにセカンドカウンセリングを行いたい。

今できることは、求められた時だけのカウンセラーへのスーパーバイズだけだ。

それでも、クライエントには少しでも心の棘を抜くために、私に相談してほしいと思っている。

 

未熟な私であるが、あなたのためを考えて、共に悩み考えていく。