おむえす

脳に栄養を

衆院選2017を終えて

選挙公約を見て、投票先を決め期日前投票に向かった。

投票所には長蛇の列。

40分待ちと言われ当日投票に切り替えた。

これほど投票意欲があれば、政治に対する民意は反映されるのかもしれない。

そう思いながら帰路に着いた。

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しかし、投票率を見ると戦後二番目の低投票率であったらしい。

当日は悪天候の影響もあったのだろう。

クライエントの話を聞くと、天候が悪かったのでという理由で投票に行かなかった方もいらっしゃった。

そもそも選挙で何を選んでいるのかわからない方や、体調が優れず投票に行けなかった方もいた。

 

衆院選2017が難しい」

 

これが国民の声だったのではないだろうか。

与党の政策では困る。

しかし、選ぶべき野党もいない。

選挙から足が遠のき、大切な一票は投じられない。

 

結果はいかがだっただろうか。

概ね予測通りであったが、投票率が低いため予想以下だった政党もある。

私の指標は公明党共産党だ。

投票率が高いと、この二つの政党の獲得議席は増える。

さらに政治不信が募るほどにである。

選べない比例代表であれば、創価学会員に頼まれて公明党の獲得議席が伸びる。

政治不信であれば、共産党に投じる。

そのように見ている。

果たして今回の選挙では政治不信ではなかったことの表れなのか、そもそも国政に関心が持てなかったのか、難しかったからなのか、どれなのであろうか。

 

希望の党の失速具合は残念である。

「排除」という言葉の一人歩きが起こった感は否めない。

第一与党となるために擁立者を増やさねばならず、ブッキングしてしまう事態は当然起こり得る。

小池知事としても苦渋の決断であり、政治のリーダーとして当然の選択であっただろう。

しかし、排除と言う響きは国民を不安にさせた。

問題は「排除」という単語だけがクローズアップされたことだ。

文脈の中で理解すればさもあらんことも、マイナスイメージとしてキャッチフレーズ化してしまいイメージダウンとなってしまった。

これはメディアの偏向報道ともいえるのではないだろうか。

自民党への政治不信から希望の党へ期待を寄せていた国民は、支持政党を失い立憲民主党に期待を寄せる。

公約で見たように、若い党ながらも力強かった。

立憲民主党議席を伸ばしたのには納得がいく。

つまり、政治不信票が立憲民主党に流れただけだ。

さらに、日本維新の会社民党は目立たなかった。

こうして、組織票や支持者を多く抱える自民党が大勝したということだ。

 

自公政権推し進めるのは、安定した財政基盤のための消費税増と、それに伴う社会保障の充実による国民生活の保護である。

消費税は上がる。

上げねば財政が困窮する。

医療費は下がる。

増え続ける社会福祉費用は抑える必要があるからだ。

医療費が下がると、病院に通いやすくなるのか。

まさかそんなわけはない。

医療抑制を行わねば元の木阿弥である。

症状に応じた適切な医療の大義の下、最低限の医療福祉が整備される。

 

高負担・低福祉

 

国力はアップする。

庶民の生活は少し苦しくなる。

国民全体が国を支える。

国の在り方としてまっとうな選択をしたともいえるだろう。

 

選挙に行かなかった者が政治を語ってはいけないとは微塵も思わない。

投票しないという選択を行ったのである。

それは今回の選挙が国民に浸透しなかったことであり、安倍総理の妙手でもあったように感じる。

小さなスキャンダルで辞任ばかり続いた総理に比べると、今回は辞めない安倍総理は立派である。

しかし、そろそろ新しい外交や国際競争力、国防や一極集中に新しい風が欲しいのも本音である。

今後の政権運営に期待しよう。