ツクツクホウシが鳴いている。
夏も終わる。
そういえばヒグラシの鳴き声を聴かなくなったような気がする。
近隣の学校は二学期が始まったようだ。
幼少の時分、二学期とは九月から始まるものであった。
気候や休みの配分により、8月末から始まるのは賛成である。
9月はじまりの二学期にはそれなりの良さがあった。
そういえば、9月0日大冒険という本があったように思う。
恐らく、初版で読んだのであろう。
以降、毎年9月0日に思いを馳せるようになった。
もちろん今も9月0日について考えている。
つまらない夏を過ごしたとは思わないが、ひどい夏であった。
やりたいこともできず、金銭的に苦しく、陥れられるという例年にない体験をした。
それでも秋はやってくる。
自分の事を考えると落ち込んでいくのでこの辺にしておく。
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さて、夏休みといえば宿題ではなかっただろうか。
夏休みの友や、溜まった日記。
工作課題にドリル。
私にとって八月最後の二日は、宿題を行う日であった。
夏休みの初めには誰もが思う。
「宿題を先に終わらせて快適に過ごそう」
しかし、取り掛かってみると、結局毎日しなければいけないということに気づく。
そうなるとやはりやりたくない。
そのままお盆が過ぎ、新学期へと向かっていくのだ。
では、宿題は最初にやるのと、ギリギリに終わらせるのはどちらがよいのだろうか。
宿題は極端な話、小分けにせずまとめてやってしまうことをお勧めする。
最初か、最後かどちらかである。
なぜか
夏休みの課題とは誰もがクリアできるように設定されている。
その年齢帯や学校のレベルに応じて必ずである。
かつて小学校の教師からの陰湿なイジメにあっていた私に課せられた課題は、漢字4,000字であった。
毎日100字書けば夏休みで終わる計算だという。
もちろん、取り掛かったのは数十年前の今日である。
私の記憶が確かなら、6時間弱かかったように思う。
しかし、そんなものである。
終わるのだ。
このように課題は2~3日で終わらせることが望ましい。
もし、毎日に学習の習慣を持っているのであれば、さっさと前半に終わらせてしまおう。
残りの時間は自分の興味のあることや予習復習に充てることが効果的である。
もし、学習の習慣がなければ、最後の2~3に集中して終わらせよう。
そのまま二学期に入れるため、授業の滑り出しが良くなる。
どちらの場合も、必ず課題を終わらせることが重要だ。
誰もがやることを自分だけやらないということをする意味はない。
どうしてもやれない事情があるのであれば、それを伝えることはよいだろう。
いつ宿題を終わらせるのかは、学習習慣の有無によってきめよう。
そして、やるからには集中して一気に終わらせよう。
宿題の事が気にかかる性格ならなるべく前半にしないと、こころに重石を持った夏休みを送らねばならない。
勉強の習慣がない場合は、宿題でなくとも、集中して40分間机につき、活字を読む訓練をすることが望ましい。
親がキーキーと金切り声を上げ、強制的にやらせることだけは避けておいていただきたいものである。
困るのは、本人なのだから。