おむえす

脳に栄養を

卵かけごはんと自閉症スペクトラム

卵かけごはんの一時的な盛り上がりは何だったのだろうか。

 

TKG

 

特集本まで出される始末であり、専用かけ醤油は未だにスーパーに並んでいる。

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熱しやすく冷めやすい。

国民性でもあり、大衆迎合社会の副産物ともいえる。

押しなべて周囲に合わせることが必要であり、突出した個性は煙たがられる。

 

私がカウンセリングや集団療法で重んじることは、目立たないことである。

アスペルガー障害を持つ方や、自閉症スペクトラムの方にはこう言うこともある。

 

「あなたに日本はあわないんでしょうね。それがあなたの苦しみなのです」

 

事実欧米であれば、個性を伸ばす教育が実践されている。

日本であれば、特別学級や特別支援学校で優しい教育を受けることができる。

 時に勘違いが起こる。

本人に適した環境を作ることが主眼となってしまうことがあるのだ。

 

発達障害は社会性の障害を併せ持つため、生きづらさを抱える。

コミュニケーションの障害と称されることも多い。

特に高機能自閉症などであれば、知的能力も高く一流の道を選ぶ人も多い。

研究者や発明家に高機能自閉症の方が多いということは周知の事実である。

芸術分野においても「ギフッテッド」や「奇才のサヴァン」と称されている。

 

しかしである。

成功までの道のりは困難であり、やはり一握りの人間である。

すべての個性が活かされるわけではない。

我々凡人にだって個性はある。

中には卵のあの白い部分を取る才能に恵まれた人もいるだろう。

それが人生の成功になるとは必ずしも言えないのと一緒である。

 

本人に適した環境を作るとはどういうことか。

理解を求めるあまり、周囲を変えようと働きかけてしまう。

本人の個性を尊重するために、夕方から明け方までの勤務を要求することだって考えられる。

それは個性としてはいいだろう。

では、別の会社で活かせるところを探せばよいわけであり、対応ができない会社にこだわる必要はない。

それよりも楽なのは、周りを自分に合わせることでなく、自分を周りに合わせることなのである。

日本の生涯教育の弊害は、周りを自分に合わせるようにする優しさにある。

甘さが支援なのではない。

 

日本に生きる上では周囲に合わせることが求められる場面は少なくない。

なにも、すべて右に倣えというわけではないのだ。

集団で行動するのであれば、規律を守らねばならない。

何事にもルールは存在する。

ルールを変えることはできるのだから、ルールを破ることから始めることは障害受容の教養でしかないと自覚することが必要である。

 

私が自閉症スペクトラムの方に、集団適応を説明するときはこう言っている。

 

「集団で立っているときに、座る号令がかかったとします。そこで一人だけ立っていると、目立ちます」

 

つまりは、変な目立ち方をしないことが社会適応の一つのコツなのである。

 

周囲がたまごかけごはんの話をしているのであれば、あなたも周囲に合わせてしてあげるだけの優しさを持てばよい。

自分の主義主張を繰り返すだけでは、甘えた世界を作り出そうとしているだけなのである。

 

たまごかけご飯に最もあう具材は、辛子明太子である。

これは私の持論であるが、ぜひとも試していただきたい。