正直者が馬鹿をみる三つの理由
社会に出てすぐに先輩から受けた忠告がある。
「フランクなのは君のいいところだけど、正直さが身を滅ぼすよ」
この言葉の通り、すぐに目の敵にする同僚が現れ、その執拗な怒りは退職するまで続いていた。
いまも原因はわからない。
ただ、感じたことをそのまま話してしまう性格だったので、何かしら怒りに触れたのであろうとは思っている。
予想としては、その同僚への感覚を他の同僚に話したことなのではないだろうか。
しかし、なぜ正直さが危機を招くのか。
これには、いくつかの理由があるだろう。
ひとつに情報は人の手を渡るときに変化するものであるということだ。
正直に話したことがダイレクトに誰かに伝わることはない。
つまり、情報は手が加えられ感情が添加され、おもしろおかしく本人に渡っていくのだ。
身に覚えのない中に、看過できない真実は残されており、文脈は変化してしまっている。
情報が良いものへの変化していることはまず無い。
二つ目に、社会というものは嘘と方便にあふれているという事実を認識せねばならい。
世の中を渡り歩くためには、三枚舌を有効に使わねばならない。
場所と相手によって柔軟に意見を変化させることが求められるのだ。
正直さは無知の表れである。
身を守るために嘘や方便を駆使することが社会の一員の要件なのである。
最後に、自分の発した言葉は責任をもたねばならないということだ。
組織において情報戦略は欠かせない要件である。
誰かを立て、誰かを落とすとき、必ず言質を取られる。
発した言葉から得られた情報で、攻勢は大きく変わることもある。
何気ない一言が組織内の人間関係を塗り替えてしまうことすらあるのだ。
フランクであるということは人間的に魅力的である。
しかし、それは時に人を傷つけ、また、自身の立場を危うくするものであるということを、心にとどめておきたいものである。