標準化と変化と
最初に働いた職場も病院であった。
今のような心理士の仕事ではなかったが、地域の中堅病院の総務事務として入職した。
時は「病院医療機能評価機構」といういわば高級官僚の天下り先とささやかれる認定機構が全盛期の時代であった。
当時はどこの病院も躍起になってこの認定を受けようと病院を改築し業務内容を洗い出した。
忌憚なく述べさせてもらえば、それまでに独自のやり方で病院内で地位を気づいていた先駆者たちを一掃するのには、効果的なツールであったといえる。
すべての業務内容は文書化され明示され、患者サービスが向上し院内の何某委員会が整備されていったのだ。
その過程では、病院独自に行っている簡略化は廃止されることもある。
もちろん反発の声が上がり、認定評価を受けるならばと退職する職員が後を絶たなかった。
かなしいことに、それは病院を支えてきていた中堅スタッフ以上だったのである。
それなりの役職を得ている人物は、自分の能力に自信を持っている。
多くの苦労を重ねて、今の手技手法を生み出していったのだ。
そのような人たちにとって最高の患者サービスとは、いわば自分のお山で行われる閉鎖された文化の集大成を提供することであったのだ。
機能評価の功績はサービスを基準化したことによるのではないだろうか。
どの病院であれ、機能評価が示す最低限度の基準をクリアしなければ認定を得ることはできない。
例えば、病院が全面禁煙になるということは、一昔前では考えられなかったことである。
入院中のサービスは普段の生活に近いものである必要があり、喫煙習慣がある患者が定められた場所で喫煙を行えることは当然の権利であったのだ。
しかし、ここには医療的な問題がある。
煙草による健康被害の信頼性は未だに甚だ疑問を残すとこがあるのだが、ニコチンが血流に影響を及ぼすことは研究で明らかになっていた。
術後の患者は出血の問題があり、入院中の喫煙が患部に対して善きものなのか悪しきものなのかは言わずもがなであろう。
機能評価は段階的に全面禁煙を基準とした。
機能評価から認定を得るためには敷地全域を禁煙とし、入院中に患部への影響を最小限に抑えることが求められたのだ。
それでも一程度の喫煙割合がある患者に対して禁煙とすることは、患者サービスとしては矛盾が生じてしまう。
このようなことが、事細かく多くの領域において定められたため、築き上げてきた主義手法は見直されることとなったのだ。
もちろん私の所属していた事務部門も例外ではなく、文書化や設備改築の検討のため、毎日の睡眠時間は3時間を切っていた。
各部署からのくすぶるような不満は、日を変え至る所で燃え上がった。
その結果、中堅以上のスタッフは病院から去っていくことになったのだ。
この問題には、多くのことを考えさせられた。
ひとつは標準化することである。
標準化の良い点は、どこの病院を受診していても最低限度以上のサービスが期待できるようになった。
標準より望ましい項目については自信をもって打ち出していける。
その結果病院の特色が強調されることとなったのである。
機能分化し、専門性が高まるため我々一市民は質の高い医療を享受することができるということだ。
そしてもうひとつは、変化に適応することの大切さである。
今の手技手法が常に最新で最高のものとは限らない。
セブンイレブンの素晴らしいところは、常に商品改善を行うことだ。
いいものだからこそ改良を加えていく。
医療手法は絶えず新しいものが生み出され淘汰されていく。
今やっている治療が1年後に最新のものでなく時代遅れのものになる可能性は大いにあるのである。
最高のものを目指すのであれば、柔軟に取り入れ変化していかねばならない。
手にしたものをお山の上で守っているだけでは、石器を片手に狩りを続けているようなものなのである。